今年(2018年)の3月に久留米で開催された池川明先生のイベントに参加した時の話しです。

 

主催の伊藤久美子先生とご縁があり

「ぜひこのイベントで長女さんにステージで話してもらえないか?」

と嬉しいご依頼がありました。

 

そこで長女の「生前記憶」について話をしたので

それについて、このブログでもシェアします。

 

 

生前記憶に気づいた最初のきっかけは

恵と長女との会話の中で行われました。

 

時は2016年の4月

熊本地震からしばらく経った頃のこと。

(ケセラボのオープンが4月26日なので、それとほぼ同時期。)

 

当時、小学校2年生になったばかりの長女が、

学校から帰ってきて、

ボソっと、

独り言を言うように、こう言いました。

 

「地球も火星みたいになるのかな~?」と。

 

何のことを言ってるのかな?と思いつつ

聞き流していたらしいのですが

やはり気になって

 

「カセイってこの火星?」

と、ネットで調べた火星の画像を見せたのです。

 

すると

「そう!そう!この赤い星!」

「そこから、色んな星を見てた。地球と土星も見てたよ~。」

と長女が答えました。

 

違う星にいた時の記憶?

と驚きながらも

 

「地球が火星みたいになるって、どういうことなの?」

と、聞いてみると、

 

「火星には、川とか緑があったんだけど、戦争があってグチャグチャになった」

「火星はもともと、とても綺麗なところだったんだよ」

と教えてくれました。

 

どうやら、

熊本地震後にテレビの報道で流れてくる、

荒れ果てた街並みの映像をみて、火星のことを思い出したようでした。

 

そして、地球が火星と同じように荒廃するのではないかと、心配しているようでした。

 

また、その数日後、

火星で起きた戦争について聞いてみると、

記憶の中で、大きな争いが2回起こっていることを教えてくれました。

 

ただ、

その記憶は悲しい記憶でもあるようで、

話しをしながら涙がポロポロと、こぼれ落ちたのでした。

 

 

それを見てから、

あまり興味本位で話しを聞くことはせず、

長女が話したい時がくれば、話したい内容を聞こうという

スタンスで接することにしました。

 

なので、

昨日のイベントでも、前もって話の内容等は聞かず

「お父さんやお母さんに話してないことでも、話していいし、

話したくないときは、話をしなくていいよ」

とだけ伝え、インタビューに臨みました。

 

ですが、そんな心配をよそに

池川先生にインタビューを受けている長女は

物怖じせずにしっかりと受け答えしていました。

そして

会場中の意識が長女に集まっていき

場のエネルギーが凝縮されていく様子に圧倒されてしまいました。

 

 

ところで、

みなさんは、自分の子供が

自分の理解を超えた話をしたときに、

どんな反応をとると思いますか?

 

スッと、

それを瞬間的に受け入れられる方は、

少ないのではないでしょうか?

 

少なくとも僕は、

エネルギーを実際に体感して理解するまでは、

「胎内記憶」「生前記憶」

に関しては、完全な否定派でした。

(過去のことですよ 笑 )

 

いわゆる宗教に勧誘する一つの手口のような、

人を惑わす、あやしい話しだと断言していました。

(過去のことですからね~ 笑 )

 

長女が火星の話をし始めた時に、

僕達が、その話を正面から受け止められたのには、

体感を通じた“見えない世界”への理解があったからだと思います。

 

それと、

クォンタムタッチを教わった「セラピールーム ゴムの木」の山口さんから、

オーラカウンセリングというセッションを受けた時のこと。

自分や家族の過去生、またその時の関係について

聞いたことがあったのですが、

家族では唯一、長女の過去生は

「ブロックがかけられた状態で見えないようにしてある」

ことを教えてもらったのでした。

(生まれつきブロックがかかっている場合もあるし、霊能者などが自ら結界を張り見えなくするケースもあるそうです)

 

具体的な部分には、ブロックがかかっているが、

長女の魂としての、大きな流れとしては、

深い悲しみや、寂しさの中で過ごしている時間が、とても長く続き、

今世でようやく、地上に生まれてくることができた魂だということも教えてもらいました。

 

ひょっとすると、

彼女が持っている記憶や感性を、多くの方に分かち合うことが、

まだ残っている、深い悲しみを癒し、これからさらに輝くための方法なのかもしれません。

これからも、長女が表現できる場を、創ることを意識していこうと思います。

 

それと、

長女が人の周りに見える、オーラの色を表現し始めたのも、この頃でした。

この時は、まだ、大まかに見える色だけ、教えてくれる感じでしたが。

 

次のブログでは、そのことについて書いてみようと思います。

 

 

お読みいただきありがとうございました